中高一貫校生のための難関大受験塾

何が​あっても​大丈夫

机を挟んで向かい合う英美理さんと大槻先生

(イラスト左が英美理さん、右が大槻先生)

大学二年生になった英美理さんが、久しぶりに教室に来てくれた。文学部でフランス文学を学んでいる。小学六年の三学期にリープエンジンに入塾し、卒業までの六年余り、英語を担当したのが大槻先生だ。これまでこのコラムに登場してくれた椋くん・優紀くんと同じ、あの代の卒業生である。

言葉を​組み立てる​人

リープエンジンでは、入塾するとまず「相談学習」から始まる。少人数制のクラス授業に入る前に、プロ講師と一対一で、目標の立て方と学び方そのものを身につけていく個別指導の期間だ。英美理さんも、ここからスタートした。

その最初期から大槻先生の記憶に残っているのは、彼女の話し方だという。

「言葉を文節化して、アーティキュレートして、一つ一つ区切って喋ろうという意思が、最初からあったんですよ。話し方が、いい意味でゆっくり。その語り方のベースは、今も全然変わっていませんね」

「中学時代からそういうふしがあったとは、知りませんでした」と英美理さんは笑う。

小学校では英会話の入門しか経験のなかった英美理さんにとって、一対一で始まったここでの英語は驚きだった。

「英語って、ちゃんと文法という体系があるんだ、学習するものなんだ、って」

数ある塾からリープエンジンを選んだのは、学校の勉強をしっかり見てほしいという親御さんの願いだったそうだ。学校の教科書に対応した相談学習は、その願いにまっすぐ応えるものだった。そして彼女は、するりと勉強に馴染んでいく。

「コツコツ暗記して、テストでいい点を取るのが、快楽だったんです」

中学三年では、学校の仲のいい友達と「己を高めよう」というキャンペーンを企画し、互いにテストの成績を上げていった。動機はいつも、彼女自身の内側から湧いていた。

高校受験で​揺れた​日々

順調に見える塾生時代に、一度、英美理さんが大槻先生に相談を持ちかけたことがある。中学三年、高校受験を考えていた頃だ。

「高校受験したいという気持ちはあるのに、どうしてもなぜか勉強を頑張れなくて。友達はいろんな悩みを抱えてしんどそうなのに頑張っている。私は不安も悩みもないのに、なんで頑張れないんだろうって、大槻先生に相談したんです。そうしたら——『何があっても大丈夫ですよ』って」

このやり取りを、先生はこう振り返る。

「究極的には、何があっても大丈夫——そういうことを伝えました。ただこれは、本当に苦しんでいる人にいきなり言えば、無責任な言葉にもなってしまう。対話を重ねてきた相手にだから言える言葉ですね」

結局、学校に友達ができて楽しくなり、高校受験はやめた。目の前の勉強に戻った英美理さんは、ここから慶應文学部まで、まっすぐに歩いていくことになる。

当時を振り返って話す英美理さん

知性を​高める​対話の​場

影響を受けたものとして英美理さんが真っ先に挙げたのは、大槻先生が当時、塾内で公開していた「知性改善日記」だった。スピノザ『知性改善論』にあやかったブログのようなもので、勉強への向き合い方や、先生自身が大学受験の時に考えていたことが、平易な言葉で綴られていた。

「それを読んで、知性を研ぎ澄ませるのは美しい、そうなりたい、って思ったんです」

大槻先生は言う。

「いわば皆さんをぼくの同級生とみなした際に、読んでほしかった文章です。動機はまあ、イタいんですけどね。とはいえ、真剣でしたよ」

塾生一人ひとりとの、塾内システムを使ったメッセージのやり取り。最近印象的だったことを塾生が書き、先生が授業内に読み上げる「ひとことカード」。小テストを隣同士で交換して丸をつけ、コメントを添え合うコーナー。あの教室には、先生を介したコミュニケーションが幾重にも行われていた。

その蓄積が、英美理さんの中に独特の推進力を生んだ。

「先生がこれだけ私たちに時間や言葉を費やしてサポートしてくれたんだから、それに恥じない生き方をしよう、って。人間は、自分のためより他者のためのほうが頑張れると思うんです」

もともと、いい成績を取りたいという内発的な動機の強い人である。そこに「恥じない生き方」という、他者へ向いた軸が加わった。

「自分一人で勉強を頑張るのも一つのやり方だと思うけど、信頼できる先生がいるというのは、すごく大事なことだと思います」

隣の​席の​宇宙

英美理さんの代は、粒ぞろいの代だった。授業中に一対一で喋ることはほとんどなくても、ひとことカードや小テストのコメントを通じて、互いの存在は確かに感じ合っていたという。

「全体的に、志が高いというか。勉強に真摯に向き合っている人たちがいて、すごく刺激で、恵まれたなって思います」

大手予備校にも通った経験がある。だからこそ、実感を持って言う。

「大人数の教室だと、隣にいる人がすごい人かどうか、わからないんです。それがわかるのは、少人数の塾のすごくいいところだなって」

大槻先生も応じる。「あのクラスは、授業後の質問も多かった。皆さんが順番に質問を持ってきて、その間、それぞれが待ちながら自習している。今から振り返ると、いい意味で異様な光景でしたね」

英美理さんは、質問への答え方も覚えている。「先生はそういうルールだから、で終わらせない。認知言語学的な視点だったり、先生オリジナルの『動名詞くん』というキャラクターだったり、記憶のフックになる答え方をしてくれた。大学でフランス語を勉強している今、一番納得できる説明は言語学的な説明なんだって実感します」

豊かな​受験生活

志望校は、慶應義塾大学文学部に定めた。

「勉強一色で生活を進めるのは、私には無理だなって。本を読んだり、短歌を作ったり、娯楽というか遊びの部分も生活に取り込まないとダメだな、と」

謙遜まじりのこの言葉を、大槻先生は別の角度から言い換える。

「その手前にある教養や、自分の実存に必要な読書をリッチにできないのであれば、その受験生活は貧困じゃないですか。だとすれば、あなたの受験生活のスタイル、あのゆったりとした豊穣な生活の仕方は、いわば攻めとして選択されたものだったと思うんですよ」

実際、彼女の「遊び」は受験と地続きだった。中二でミルトン『失楽園』を読み、ボードレールから仏文への道が開けた。高校では歌人・大森静佳に出会って短歌にのめり込み、自分で作った詩でも賞を授かった。すると入試の本番で、短歌をめぐる出題がそのまま現れた。普段から抽象的に考えるのが好きだった彼女は、初見の問いを普通に受け入れて、解き始めることができたという。

高三の夏でも勉強は一日五、六時間。徹夜はせず、遅くとも一時前には眠る。「私、寝るのが大好きなので」。家では犬を抱っこしながら、単語帳をめくった。SNSには、そもそも興味が湧かなかった。「確かに頭を使わないから楽だし、面白いけど、一旦我に返ってみると——これより絶対、本の世界のほうが面白いよ、って」

大槻先生「あの代で結果をしっかり残した人たちは、無理をしていなかったんです。自分なりのコンスタントな生活を続けていた。英美理さんは普段から研ぎ澄まされた生活をしているがゆえに、いわゆる受験勉強は少なくて済んだ、という見方もできる」

高三の秋、早期の入試方式で、合格が決まった。

聞き手にまわる大槻先生

出会ってくれて​ありがとう

最後に、お互いへのメッセージを。英美理さんは少し考えてから、こう言った。

「自我が生まれる前、欲望が生まれる前から先生に会って、いろいろ喋らせてもらって、先生の思考とか精神性を教わったので。先生に会っていなかったら、全然違う人間になっていたと思うんです。で、今の私は、今の自分をかなり気に入っているから——出会ってくれてありがとうございます、って感じですね」

以下は大槻先生の返答。

「烏滸がましいかもしれないけど、ぼくはいわゆる大学受験指導ではなく、人を育てたという感触があるんです。ただそれは、皆さんのほうに『この先生から学ぼう』という真摯な気持ちがあったから可能だったこと。だから——共に生きてくれてありがとう、ということですかね。ああやって魂同士をぶつけ合ってくれて」

教室で向かい合う英美理さんと大槻先生

(写真は実際の対談の様子)

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