中高一貫校生のための難関大受験塾
打てば響く ―― ある卒業生との六年間

(イラスト左が優紀くん、右が大槻先生)
医学部の二年生になった優紀くんが、塾に顔を出してくれた。当時、英語を担当していた大槻先生と、数学を担当していた私(吉江)の3人で、優紀くんの塾生時代を振り返る。
遡ること8年前、中学受験で第一志望に届かなかったことで、それまで通っていた大人数の塾から少人数で質問しやすい塾へと照準を切り替え、優紀くんは中学に上がる前にリープエンジンに入塾した。
ブラック・ジャック全巻セット
お父様やお母様のお仕事の関係で、すでに医学部を意識し始めた中学一年の時、優紀くんは思い立ったように『ブラック・ジャック』を全巻購入した。きっかけはこうだ。
大槻先生「授業中に他の塾生から『ブラック・ジャック』の話題が出て、『医師として究極の判断が題材となっているいいマンガだよね』と言ったんです。それだけなんですよ」
優紀くん「親に話して、20巻くらいのセットを買ってもらいました。全部読みました。授業で言われて、すぐだったと思います」
とはいえいちばん好きな話は、助けられたシャチが恩返しに真珠を運んでくる、という一編だという。
優紀くん「生き物が好きだったというのもあって(笑)」
大槻先生「打てば響くんですよ、この人は。ブラック・ジャックいいよ、と言ったら聞き流さないで本当に読む。これができる人って、案外いないんです」
ただ、と続ける。
大槻先生「打てば響くというのは、裏を返すと、なんでも真に受けてしまうということ。だから、優紀くんには変なことは言えないな、こちらも覚悟して対峙しなければいけないな、と思っていました」
「真に受ける」については、優紀くん本人にも思い当たることがあるようだ。
優紀くん「最近、気づいたことがあって……。大学の友人で、同期が冗談とも本気ともつかないことを言ってくるんです。向こうは冗談のつもりらしいんですけど、僕はそのまま受け取って、傷つくというかちょっとびっくりしてしまって……。それで、最近、受け取りすぎなのかもしれないなって気づきました」
そこを変えたいと思うかと、優紀くんに尋ねたところ——
優紀くん「性格は変わらないし、特に変えたいとも思っていません。まずは受けとめてみて、『まあいっか』と深くは考えない。受け止めて温める、受け取って受け流す。そのもとで、伝わることを信じ相手に自分の考えを言ってみる……っていうのが、最近できるようになってきました。これが僕の成長かもしれません」
僕は、普通の人です

意思表示といえば、と大槻先生が優紀くんに関する次のようなエピソードを話し始めた。
優紀くんが高校一年の初めごろ、英語の授業のあとに大槻先生を呼び止めた。
大槻先生「ちょっと先生いいですか、と来て。『僕は普通の人なので、天才とか神童みたいに見なされると困ります』と言われたんです。認識がズレてますよ、と」
優紀くん「いや、認識してくれてますか、って感じのつもりでした……」
当時の優紀くんは学校の定期テストでは学年のほぼトップにいた。ただ本人には引っかかっていることがあった。
優紀くん「定期テストは範囲が狭いし、先生がどこが出るか教えてくれることもあります。それで点数が取れていても、範囲の広い全国レベルの試験で成績を残せていないなら、実力がついていないということだなと。才能が無いのは自分でよくわかっているので、きちんと努力しなきゃダメだなと思って。そこを大槻先生に気づいてほしくて伝えました」
大槻先生「そのときの僕は、優紀くんを完璧な優等生と認識してしまって、そのような気持ちに気づくことができなかった。あれは本当に言ってもらってよかったです。優紀くんは本来、そうした自分の気持ちを表にあまり出さないタイプですよね。だから僕も少し驚いたことを覚えています」
優紀くん「大槻先生にだけはそこを知っておいてほしくて(笑)」
これができなくてどうするんだ
受験の直前、リープエンジンでも最後のころの授業で、大槻先生が繰り返し口にしていた言葉がある。
優紀くん「『これができなくてどうするんだ!』っていう大槻先生の言葉を何度も自分に言い聞かせるんです」
大槻先生「最後の最後は気合だよ、っていう話ですね。自分を鼓舞するための言葉を、みんなに言ってたんです。受験では、感情とか本能をぶつけていくべきだ、と」
その言葉が、本番で効いた。慈恵医学部の数学、2問目。ぱっと見は解けそうで、途中まで進んだところで、優紀くんの手が止まった。
優紀くん「最後、積分の計算で、これができれば解けるという段階まできたのだけれど、急にこれどうやって計算するんだ?ってなっちゃって。感覚として、合格するには解けなければいけないレベルの問題だと思って……。まずいぞ、って……」
前の自分なら、どうしていたか。
優紀くん「前の僕だったら、焦って混乱するか、諦めて飛ばしてたと思います。でもそのとき、いや、『これできなくてどうするんだ!』って。その言葉でちょっと落ち着いて、3分くらい使ってもいいから考えるか、ってやったら思いついて、できて」
そして、こうも言った。
優紀くん「人とのやり取りに本能を出すんじゃなくて、試験っていう自分との戦いに本能を出すのも、ありだなって」
先生が優紀くんから学んだこと

優紀くんには、悩みすぎるところもあった。英文法の問題では、正解の根拠だけでなく、ほかの選択肢がなぜ違うのかまで全部気になった。大槻先生は当初その質問に付き合っていたが、ある時期から「これは気にしなくていいですよ」と、あえて話題を断ち切る指導に変えた。
大槻先生「優紀くんの考えすぎるクセに、こっちが付き合ってしまっているのでは、と気づいたんです。悩みすぎるのは僕自身のクセでもあって、僕と優紀くんはその点は似ているんです。僕が優紀くんのクセに付き合っていると、優紀くん自身も悩みを断ち切れなくなる。だから、まず僕が断ち切ることにした。これは、僕が優紀くんから学んだことです」
優紀くん「言われてみれば高校の後半では、『これは気にしなくていい』って大槻先生に言われたことがたびたびありましたね。そういう意味があったんですね」
元塾生へ贈る言葉
最後に、大槻先生が優紀くんに、ある哲学者の言葉を引きながら、こんな言葉を贈った。
大槻先生「優紀君には、ある意味で、静かに生きてほしい。そして、親切や同情を必要とするあらゆる人に対して、親切で、同情深くいられるような地位にいてほしい。あの頃の優紀くんは良かったな、とは思いたくありません。僕個人が。やっぱり優紀くんは優紀くんなんだね、とずっと思っていたい。そういう、勝手な願いです」
返答は、一言だった。
「受け取りました」

(写真は実際の対談の様子)