中高一貫校生のための難関大受験塾
「できません」と言えるまで

(イラスト右が紗貴子さん、左が大槻先生)
京都で一人暮らしをしている紗貴子さんが、東京に戻っていた一週間のあいだに教室を訪ねてくれた。京都大学医学部の一回生だ。中学一年の最初からリープエンジンに通い、卒業までの六年間、英語を大槻先生に習った。この日は大槻先生が聞き手になって、近況から塾生時代までを聞いた。
怪我の前より強くして戻す
いま紗貴子さんの生活の中心は、アメリカンフットボール部だという。AT(アスレチックトレーナー)として、怪我をした選手のリハビリを担当している。AT部門のモットーは「怪我の前よりも強くして戻す」だ。
現場に入ってみての実感を、紗貴子さんはこう話した。
「後から考えると、復帰までの最短ルートじゃなかったなと思うことが、すでにたくさんあって」
だからこそ、所属する学科の研究室がアメフト部と組んで進める、前十字靱帯(ACL)の損傷の研究に惹かれている。効果が出るまでに時間がかかる筋トレや食事と違って、選手の動きの変化は、動画を見ればその場でわかる。その「動作」から怪我を防ぐ方法を探りたいのだという。
人を見てくれる塾
話は入塾した頃に戻る。小学生まで続けていた水泳教室が終わり、時間ができた。先輩や、上にお姉さんのいる友達のお母様に「塾に行かなくてもいいけど、英語だけはやっておいたほうがいい」と勧められて、英語の塾を探した。
最初の体験授業で覚えているのは、大槻先生がクジラ柄のシャツを着ていたことくらいだという。中学時代については「シャドーイングが楽しかった」と話す。宿題に出ていない範囲までやってきて、大槻先生に認められていたという。
リープエンジンはどんな塾だったのか。紗貴子さんはこう言う。
「本人の取り組み次第で、自分から動かなければ伸びない塾もあるなか、リープは『人を見てくれているところ』に違いがあると感じていました」
「すごく大げさなんですけど、なんていうか、人生を世話してくれている感じですね。日々の生活リズムの話までしてくれるし、いい意味で、見守られている感じがあったから、やらなきゃって思えたし、頑張れたんです」
自分で丸付けした宿題を先生に持っていくと、丸付けのミスまで見てもらえた。
「そこまで手厚くされているから、なるべく良い状態で先生に自分を見せたいと思っていました」
紗貴子さんのいた英語のクラスは六人前後で、大人しめの塾生が多かった。静かだが、やる気はあった。質問はその場でし、反論があれば言い返した。
「オンとオフのメリハリが、すごくありましたよね。仲良くなりすぎはしないけど、教室に入ればお互いを認識している。ちょうどいい距離感でした」
大槻先生も、このクラスをこう振り返った。
「正直、教師なら誰でも受け持ちたいと思うであろう、殊勝なみなさんが通うクラスでした。ぼくも無数のことを腹の底から学んだクラスだった。今でも感謝しています」

崖っぷちの一週間
京都大学を目指したのは、京大好きなおじさんの影響だった。物心ついた頃から「京大行こう」と言われていた。行きたい大学が特になかったとき、最初に浮かんだのが京大だった。高校生になった頃から、京大を目標にした。
受験までの道のりには紆余曲折があった。本人によれば、十分な準備ができないまま一月を迎えたという。共通テストは、目標にしていた点数に届かなかった。一時は強く惹かれた私立の医学部もあった。しかし、京大の試験より前に受けた大学からはひとつも合格をもらえないまま、京大の試験を迎えた。
「本当に京大しか残っていない、って感じでした。そこで、やっぱり本当に京大に行きたいと思ったし、京大に行ってどうしたいかを本気で考え始めたんです」
本当にスイッチが入ったのは、試験の一週間前だったという。
「試験前の一週間は、本当に頑張ったって自分で言えるし、そこはすごく自信があります」
では、「人生でいちばん頑張った時期は?」。そう尋ねると、返ってきた答えは高校三年の夏だった。数学の力を上げるため、ほとんどの時間を数学に使った。
「普通に考えたら、高三の夏休みを数学に全部賭けるのはバランスが悪いじゃないですか。でも今考えたら、あの一か月があったから、京大の数学をまともに解けるようになったんです。全員にお勧めできることではないけど、私には結果的に良かった」
ここで大槻先生がこう続けた。
「あの時点で、もう英語が完成しつつあった。だからそのぶん数学に取り組めたっていう面もありましたよね。紗貴子さんは、英語に関して中高一貫校のアドバンテージを活かし切ったと思う。だって高3の春からは過去問に取り組んで、二人三脚で英語は最終的には三十年分をこなしたもんね」
「できません」が言えない
大槻先生には、ずっと不思議に思っていたことがあったという。単語の宿題はかなりの量を出していた。それでも紗貴子さんは、ほとんど不満を口にしなかった。塾をやめようと思ったこと、しんどいと思ったことはなかったのか。紗貴子さんの答えは「本当にないです」だった。
「私は見栄っ張りだから、『できません』って絶対に人に言えないんです。本当は単語が嫌いで、ちゃんとできないことも多かった。でも、『自分にはその量は多いです』と言うことのほうが、私にとっては難しかったんです」
これは、今の紗貴子さんがいちばん向き合っている課題でもある。夏合宿で、尊敬する先輩にこう言われたそうだ。「紗貴子は、振られた仕事や新しいことを、一度『はい』と受け止めてやってみようとする。それが紗貴子のいいところだ」。京大アメフト部という、これまでにない大きさの組織に入って実際に責任を負う今は、「はい」と受け止めるだけでは足りないと感じている。
「できないことをちゃんと『できない』と言って、人に頼れるようになること。それが今の、本当に一番の目標です」
大槻先生は、この変化をこう見ている。
「中高の勉強は、失敗しても自分が伸びないだけで済む。そういった立場のうちは、粛々とタスクをこなす訓練を積めばいい。でも、ひとの体や命に関わるような立場になれば、あえて断る勇気も必要になりますね」

もっと広いところへ
小中高時代と今の京大での生活を比べて、紗貴子さんはこう話した。
「東洋英和には、フレネミー(友達のふりをした敵)がいないと思うんです。お互いを信頼できるし、自分の時間を相手のために使えるのが当たり前。でも、それはすごく英和生ならではだったのだと、大学に入ってから思いました。大学にはいろいろな人がいるので」
将来の話になった。
「この四年間で、チームを日本一にしたい。そして、日本一にして、その夢を終わりにしようと思っています」
トレーナーを仕事にするのは違う、と感じ始めたそうだ。部活を引退したら、大学院で動作解析の研究をし、その先は、たとえばスポーツメーカーで怪我を防ぐ製品を開発する道もあると考えている。
「今、百五十人のチームを動かしているって一回生のときから実感できるんだから、四回生のときはその実感はきっとすごいだろうし。そう思ったら、社会人になったのちに、それと同じくらいの規模を動かしているのは、ちょっと小さいかもなって思って」
話の最後に、大槻先生はこう語った。
「紗貴子さんは折り目正しいひと。これがぼくの中での紗貴子さんのイメージです。だからぼくはずっと、紗貴子さんは閉じる方向のひとだと思っていた。友人も多くはいらない、というし。でもその紗貴子さんが、生まれた地から遠い京大という場所で、むしろ広げていくほうに展望を持ち始めた。新しい紗貴子さんが誕生しそうで、とても嬉しいですね。今後ともぜひ、元気な顔をときどき見せに来てください」

(写真は実際の対談の様子)